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October 31, 2003
Halloween & Fire

今日はHalloweenで、trick or treatとやってくる子供たちにお菓子を配る日。。。

私の家の前は、街灯のない真っ暗な道なのにも関わらず、去年は次から次へと大勢やってきた。家の前の道は懐中電灯の明かりがひっきりなしに行ったりきたり。今年も、大量にチョコレートなど買っておいたのだが、今日は今年の秋・冬初の雨が降ったせいか、トータル20人も来なかった。が、幼稚園に行くか行かないかの小さな子供たちが、ヨチヨチとやってきて、必死でたくさんチョコレートを掴んで自分のかごに入れて、嬉しそうにしているのを見ると、「こういうことが心から嬉しい時代があったんだなぁ」と、ちょっとほろりとしたり。

ちなみに、私の友人の会社の社長は、Steve Jobsの近所に住んでいるのだが、数年前子供に「檻に入ったトラ」の扮装を作ったそう。檻も衣装の一部、というめちゃめちゃに凝ったものだったらしいが、それをHalloweenの前に見かけたSteve Jobsが「これはいかん、うちの子が負けてしまう」とばかり、いきなりPixarに電話を入れて、著しく気合の入った衣装を作らせたとか。よくわからないが、Pixarでは、アニメを作るために実物模型を作る部門みたいなのがあるらしい。。。これは、ただの噂話。

***

さて、雨が降ってよかったのは、南カリフォルニアの火事。これでやっと沈静化の方向に向かうだろうと期待されている。

直接の原因は放火や不注意など様々だが、大本の原因は「宅地化」が大きいとのこと。「宅地化が進んで森林伐採が進んだ」ということかと思いきや、真相は意外にもその逆なのだ。あのあたりの森は、20年に一回くらいは小規模な火事で燃えて木の密生度が下がる、というのが本来あるべき姿なのだった。しかし、1920年ごろから宅地化が進み、過去100年近く山火事がなく、しかも、住宅開発をした後は、周辺の木を切らないという近隣ルールが適用されることが多く、それこそ枝一本剪定するにも許可がいる、という状態になった。

それで、どんどん密度が増し、ついにあるべき密度の10倍近い木が生い茂って、最近では害虫が繁殖、たくさんの木が立ち枯れていた。そこに火事が起こり、よく乾いた薪を燃すように一気に燃え広がってしまった、ということ。

アメリカの家というのは、中古市場がしっかり存在することもあり、一生のうちにいつかは売る可能性が高い。普通の人にとっては一生で最大の投資案件でもあるので、その価値を守るために大きな努力が払われる。皮肉なことに、緑したたる住宅地、というイメージを守るために、一種触発の状態になっていたわけだ。

新聞やテレビでは、危機に強いアメリカ人ならではの「命を懸けて自分の家を守った住民話」が満載。(単に限度を超して向こう見ず、という説もあるが。)火事が始まってもう1週間くらいたっているので、火元から遠い家の人は、「今に火がやってくる」と思ってから、実際に火がやってくるまで随分日数があることも。その間に、ひたすら家の周囲の木を切り倒したり、ぎりぎりになったら家に水をかけたりして待つ。しかし、一旦やってきた火の勢いは尋常ではないので、逃げ遅れて死ぬ人もいる。

Survival a matter of 'luck and stupidity' は、生き残ったのが奇跡と言われるほどの、孤独で無謀な火事との戦いで「別荘」を守った航空エンジニア。別荘ですよ、ただの別荘。命をかけるか、と思うが、彼は近所の2軒もついでに守りきった。これはもうなんというか、元々別の世界にいっちゃっている人なのではあるまいか。

Firefighter's battle becomes personal: Homeowner turns to prayer instead of evacuationは、インディアンの血を引く、とある消防士が、自分の家を守るべく、近所の何人かで一致団結して火事を待つ話。最後は、セージを燃やして自分にその煙をかける、というお祈りまでして待つ。そして、火が目前まで迫ったところで雨が降る、、、という超自然系顛末。

一方で、個人の努力とは関係ない謎の偶発的ラックもある。すごいのはこれ。
Amid horrific destruction, one house stands unsinged
50近い近隣の住宅が全て、構造も何もかも全て燃えきって完全に灰になりはてたのに、なぜか一軒だけ残った家の話。避難していた持ち主は、戻ってきて自分の家だけ無傷で残っているのを見て「I fell down on my knees on the lawn and thanked God」とのこと。今日の朝刊の火事特集では、一面全部を使った航空写真がでているが、本当に一軒だけぽつんと残っているシュールさ。写真でお見せできないのが残念である。外壁すら焦げておらず、電気も水道も電話も全て普通に動くとのこと。密教のお坊さんが結界を張ったんじゃないか、というようなすごさである。

努力も大切だけど、運も大切、というありきたりの教訓がここにある。

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さて、昨日とある人と話していて「飛行機とかから水でもまいたら簡単に消えそうなのに」と言われた。私は全く反対に思ったのでちょっと驚いた。テレビのニュースで、飛行機が消化剤を撒いている映像が出ていたが、燃え盛るガソリンスタンドの上を、おもちゃの飛行機を飛ばしているみたいで、「これはとても無理だ」と思った。人間の感じ方というのは、本当に個人差があって、興味深いことしきりである。

Posted by chika at 11:06 PM
October 30, 2003
Google on the Economist

Economistの最新号よりThe next hot internet stock: How good is Google?

いわく
Bankers have been overheard estimating Google's value at $15 billion or more. That could make Google Silicon Valley's first hot IPO since the dotcom bust, and perhaps its biggest ever.

That alone is enough to have some sceptics whispering “Netscape”.

バブル以来どころか、史上最大のIPOになるんでは、と。起業価値150億ドルといえば約2兆円だ。前に$1Bくらいかな、なんて書いたが、これは桁違いでした。記事には、年間利益が推測で$150Mとも出ている。売上げじゃなくて利益。もし本当だったら$15Bは固いだろう、確かに。で、そのIPOの噂で浮き足立つ中で、疑い深い人たちは「Netscape」とつぶやいていると。

Netscapeはあんまりビジネスモデルも売り上げも固まらないのに上場してしまった。Jim Clarkのエゴゆえ、といわれているが(特に、巨大なクルーザーが欲しかったからだ、とか。)、もう少し地味にやっていればMicrosoftともう少し互角に戦えたのでは、と残念がられている。

記事は、さらにMicrosoftについて書かれている。

Microsoft smells blood. It is currently working on its own search algorithm, which it hopes to make public early next year, around the probable time of Google's share listing. Historically, Microsoft has been good at letting others (Apple, Netscape, Real) pioneer a technology before taking over, exploiting its dominance in desktop operating systems.

Microsoftが血の匂いをかぎつけた、ということで、MSはサメか・・・。ちなみに、MicrosoftはNetscapeを叩き潰すときに、ブラウザーのバージョンアップをやたらに頻繁にした。競合製品がバージョンアップをすると、自分たちもバージョンアップをしなければ、とあせってしまう。で、Netscapeは浮き足立ってしまった。

Microsoft側は、この「頻繁なバージョンアップで敵を狙い撃ちすること」を「hamster」という隠語で呼んでいたそうだ、というのは一時MSの子会社にいた人の話。ハムスターは、よく丸い滑車の中をくるくる回っているが、やたらあくせく速く動くだけでどこへも行けない。そういう状態に敵を陥れよう、という陰謀。競合がのさばってくると「Let's hamster them」とかいって、バシバシとバージョンアップをする戦術に出るということ。戦術の内容はさておき、「hamster」という表現は的を得ていて怖いなぁと思った。

Posted by chika at 11:11 PM
October 29, 2003
左脳と右脳とパラダイム

決断のスピードというエントリーを書いた。

基本的にその通り、という類のコメントをNaotakeさんとTakiさんのお二人からもらった。一方で、trackbackして頂いたblogでは
「決断のスピードを読んで思ったのは、日本の商売の形というのは、責任と信用と過程で金を取っているということ。要するに根付いているのは、「任侠」の精神だと、義理人情だと。これに対するグローバルという流れに対して、先進的な流れを好む人、誰かの前に立って目立ちたがる人、新し物好きな人、学者等を除き日本人は、反感を覚えているように感じる。」

という、ネガティブなコメントを頂いている。(ちょっと分かり難いのだが、多分ネガティブだと理解しました。)

どうして読み手によってこういう差が生じるのか。

私の元のエントリーは、アメリカ式=よい、日本式=悪い、という単純な図式を描こうとしているわけではない。私は、日本でも良い会社はキチキチと決断をタイムリーに下しており、アメリカだって上手くいっていない会社は、決断のスピードも鋭さも鈍っている、と思っている。さらに、日本も高度成長期の頃には、事業機会の多さに比べて人材が少なかったことから、30代で足が震えるような決断をせざるを得ないような局面がたくさんあったはず。今50代の日本の大企業の人から、若い頃には胸のすくような勝負をしてきたという話を聞くことが良くある。

この思いを、オリジナルのエントリーでは

「びしびしと決断していた昔に築き上げた事業があまりにすばらしかったので、いまだにそれの残り火で生きていける会社」を「みんなで合議に合議を重ねて、集団でスクラムを組む日本的美徳がゆえに成功している会社」と思ってしまった90年代はちょっと不幸だった。

とさらっと書いてしまったが、こんな短さでは、元々「アメリカ=いい、日本=悪い、という図式は納得いかないぞ」と思っている人を説得することは無論不可能。人間は普通は、既に自分の中にあるアイデアしか理解できない。それ以外のことは、目にし、耳にしても、電車から眺める景色のようにサーっと流れ去ってしまう。なにかを読んで「わかった」と思う時は、本当は「前から自分が思ってきたことが、まとめて表現されている」、というだけであることが殆どだ。全く違う考えを持っている人の心に響くためには、相当な厚みのある説得が必要なのである。

私の元のエントリーは、例えばコンサルティングレポートとしては絶対失格だ。(当たり前だが)。コンサルティングのレポートは、客観的なデータを満載することで、懐疑心を持っている人でも納得させられるように構築しなければならない。これを、「相撲取りは太っている証明」と私は呼んでいる。相撲取りが太ってことを100ページのレポートにしたとする。そんなの当たり前、と思う人から見れば、
「くどくどと何を証明しているんだ、平均体重や平均身長・体重比なんてデータなんか何もなくたって相撲取りはでかいのは当たり前だ」
となる。しかし、生まれてこの方相撲取りを見たことない人にとっては客観的データは重要。しかも、たくさんのデータを積み重ねられることで、だんだんと納得していくのである。(相撲取り話については以前のエントリーでも書いた。)

****

話は飛ぶが、Ramachandranという人が書いた「Phantoms in the Brain」には、人間の右脳と左脳の役割に関する興味深い症例が出てくる。どうも、右脳は「パラダイムシフト認識担当」、左脳は「秩序作成および入ってきた情報をその秩序のの枠組みの中に整理する担当」、となっているらしい。で、脳溢血などで右脳が大々的にダメージを受けた人の間で、時として非常に特異な障害がでることがとあるのだという。右脳がやられたため、左半身が麻痺しているにも関わらず「左半身不随であることを認識できない・しようとしない」という障害が現われるのだ。

「健常」という、自分が世界を捉えていたパラダイムから、「左半身不随」という全く新しい世界観のパラダイムに移行したのに、その変革を認識する担当の右脳は機能していない。そこで、左脳は「健常」という従来の秩序の枠組みに、「左半身が動かない」という情報を格納しようとする。そのためにはありとあらゆるギミックを駆使するらしい。医者に「左手を上げて下さい」といわれて「いや、皆さんに邪魔されていて上げられません」と言い切ったり。

(ちなみに、右脳については、Amazonの「立ち読み」でいろいろ読めます。Amazonの立ち読みの説明はこちら。)

ということで、通常は左脳がフル活動して秩序を作り上げている。大抵のことは、従来の秩序に整理できるし、そうするのが生き方としても正しい。ちょっとした差異が誕生するたびに新しいパラダイムを構築していては普通の生活ができなくなってしまう。読んだものの中から既にわかっているアイデアを拾い出して納得する、というのはまさに左脳的正しい反応である。

しかし、左脳で処理しきれない「差異」がある一定量をオーバーすると、右脳が「コレハチガウ!」と新しいパラダイムを構築するわけだし、それができないとまずい。

村上春樹のアンダーグラウンドには、サリン事件の地下鉄に乗り合わせ、あちこちで人が倒れ、周りの人たちがみんな避難した後にまだ「今日は倒れる人が多い日だなぁ」程度に思ったという若い男性が登場する。彼はもしかしたらサリンのせいで判断力を失っていたのかもしれないが、右脳が機能していないとこういうことになりかねず、命の危険を伴うので、右脳は大切にしよう。

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さて、本題に戻ると、「スピーディーな決断をするのが良い会社」というのは、きちんとデータを取って証明できない限り、私の個人的パラダイムである。個人的なものではあるが、私自身がそれを元に転職や引越しという行動を起こすためには、十分納得性のあるパラダイムである。が、これをもっと普遍的に説得するには、「平均的決断の規模とそれに関わる担当者数」とか、「XX円の資金投下を必要とする決断に要する時間」とか、「その指標の同じ会社の中での経年変化と、業績の相関」とか、「異なる会社間での、指標と業績の相関」とか、いろいろなデータをきちんとる必要があるのであります。。。。

Posted by chika at 11:04 PM
October 28, 2003
Schwarzenegger moving to Atherton

Palo Alto Dailyという無料のコミュニティー新聞がある。Palo Alto近隣を含め、あちこちの街頭に赤い新聞ボックスがたっていて、そこから取る。例えば、10月26日号はこんな風。無料とはいえ、広告料でビジネスとしてはきちんと成り立っているようで、内容も豊富。APとかの配信記事も載っていて、海外ニュースのページまである。が、やっぱり面白いのは、地元の話。

例えば、毎週「Police Blotter」というのが載っている。Palo Alto周辺の市の警察が発表する「今週の犯罪記録」。Athertonという高級住宅地などでは、些細な事件が丁寧に記述されている。「XX高校からトランペットがなくなったが盗まれたようだ」とか。笑えるところでは「リスが煙突から家庭に侵入、尻尾が燃えたまま家を走り回ったので警察と消防が出動」てなのも冬にはあった。一方、East Palo Altoという低所得者の多い街のものは、なんでも大体一言で済まされている。「強盗」「窃盗」とか。犯罪が日常茶飯事で、警察官もいちいち構っていられない、というニュアンスが感じられる。AthertonとEast Palo Altoは、ほんのちょっとしか離れていないのに。住むところによって、天国と地獄になるアメリカの象徴的blotterである。

で、その高級住宅地のAthertonの方だが、先週末のPalo Alto DailyにはSchwarzeneggerが買う家を探しているという記事が出ていた。子供を通わせる良い私立学校もあるし、ということらしい。「普通の家」が2億円、という住宅地である。が、騒がしくなりそうだな。

ちなみに、Palo Alto DailyのfounderはスタンフォードのMBA。このあたりには、こういう地味そうなビジネスでスタンフォードのMBAが始めたものが結構ある。Palo AltoのダウンタウンにあるGordon Bierschという地ビールを作っているビアホールなんかもそうです。

Posted by chika at 11:08 PM
October 27, 2003
VC投資・Alien・Gillette

San Jose Mercury NewsのVC investments held steady in third quarter

「もっとよくなっているかと思ったけど、とりあえず横ばい」という内容だが、

In the Bay Area, venture capitalists invested $1.35 billion during the quarter

ということで、ベイエリアだけで7-9月の3ヶ月間に13.5億ドル、実に1600億円超が投下されている。腐ってもシリコンバレー、である。毎日VentureWireから送ってくるAlert Emailの全米(プラス時々イスラエルやイギリスなどの海外)VC投資額合計を見ると、一日当たり平均大体5千から1億ドルなのを考えると、「3ヶ月・ベイエリアで13.5億ドル」はちょっと少ないかな、という気もする位。

ちなみに、この記事の紙版の方には付表でTop Bay Area Investmentということで、過去3ヶ月で最も高額の増資をした5社が載っているのだが、そのうちトップは4700万ドルの投資を受けたNetwork StorageのBlueArc、2位から4位はバイオ・製薬系で、Renovis, Tercica, Rinat Neuroscienceと続く。5位はRFIDを作るAlien Technology。Alienは今年始めにジレットから5億個のRFIDのオーダーを受けた、と発表して話題になった。

RFIDは、超微小な電気的タグ。日本では「トマトにつけて、携帯電話で生産者情報(作ったのはXX県のZZさんです、、、とか)を提供」などというおまけ的要素が真剣に追求されていて面白アンテナがぴくぴくするのだが、アメリカでの用途は「サプライチェーン管理」一本、という感じだ。全商品にタグをつけておいて、そのまま倉庫、納入先、陳列商品棚などでリアルタイムで情報を自動的に読み取ろうということ。

ジレットでは実に1テラバイトの情報を持っている、と業界関係者に聞いた。どこで何が売れているか、というマーケティング情報もさることながら、情報収集の真の目的は、いかにグレーマーケットを廃するか、ということにあるんだそうだ。かみそりとかみそりの刃では、もちろんかみそりの刃が収益源。で、この刃はコストに関係なく、利益を最高にする値段を設定して売られる。で、その値段は国によって当然違う。そうすると、安い国から高い国へとこっそり輸出して、そこで差益を得る業者が出てくる。それをいかに取り締まるか、ということがジレットの本当の狙い。全商品にタグをつけて、どれが誰に売れたかの追跡ができれば、違法な輸入品が出回ったときに、出元を確認できる。ちなみに、P&G;では10テラバイト級のデータを持っているとのこと。

もちろん、RFIDは少なくとも理論的には、誰がいつどこで何を買ったかの隅々まで管理可能になるということでもり、プライバシー問題と紙一重でもある。トマトの生産者の田中さん情報を教えてもらう、という方が楽しそうなことは確かだ・・・・。

Posted by chika at 10:40 PM
October 24, 2003
教育

金曜は友人たちと集まる日。みんなわいわいと2歳以下の子供がいる。で、今日は学区の話になった。アメリカの住宅地は、学区のよしあしで値段が全く違う。道を隔てて学区が違うだけで、同じような家が1-2割くらい値段が変わることがざら。

ラフな試算では、子供が1人だと、安い学区に住んで子供を私立に送った方が安上がり、2人でトントン、3人だったら高いお金を出してもいい学区の家が得なようだ。が、学区が悪いところは、家の相場が崩れたときに真っ先に値段が下がる、というようなこともあり、一概に子供数だけで判断はできないのだが。

友達は白人と、韓国系・中国系アメリカ人(みんなアメリカ生まれである)。みんな「学校は公立に限る」と明言。スノッブな私立より、公立でいろんな人と交われる方がいい、とか、私立はいくらなんでも高い、とか理由は様々なようだが。

いい私立に入れるには、まだ幼稚園も行かないうちから、その私立学校がやっているサマーキャンプに参加させる、みたいな営々たる努力が必要らしい。しかも、このあたりのいい私立学校に行ったら、例えばスタンフォードに行くのは相当な難関だ。いくらみんなが優秀でも、同じ学校の生徒みんながスタンフォードに入れるわけではない。私立ほどではないが、いい公立学校でも同じ問題があると。日本みたいに「灘高にいったら、8-9割東大・京大」みたいなことは起こらないのだ。

一方で、ひどい学区の出身だと、大学受験でゲタをはかせてくれる。多くの大学で「ひどい学区出身だったら、XX点」とゲタ配分が決まっている。

従来は人種点というのが多用されてきた。例えばThe Daily Illini(!)のLawsuit puts affirmative action under fireによれば

The University of Michigan adheres to an affirmative action policy. It uses a 150 point scale to grade applicants. The biggest factor is grade point average. A perfect SAT score is worth 12 points, and being a minority is worth 20 points.

大学は、いろんな人種・男女を満遍なくとってdiverseであることが求められるが、ゲタでもはかせないと白人とアジア人ばかりになってしまう可能性大。ここでminorityといったら基本的には黒人とヒスパニック(と女)。しかし、だんだん人種点は逆差別で違法だ、ということになってきた。黒人と同じ点でも入学できない白人(特に男子)が怒って訴える、というのが全国的には多いが、UC Berkeleyあたりだとアジア系が逆差別の対象だったり。(ベイエリアの高校のトップの生徒の半数以上がアジア系だ)上述のMichigan大学に関しては、「マイノリティ優遇は違憲」として最高裁まで争われた裁判が今年あった。結果は「違憲」。CNNのMaking sense of the Supreme Court's college admissions rulingsでは、いわく

the rigidity of the numerical approach, six justices thought, denied the kind of individualized treatment that Powell's opinion in Bakke required of a permissible affirmative action program.

一律20点ってな画一的アプローチはだめということだ。

人種でゲタをはかせちゃだめなら、学校でゲタを履かせるのがnext best thing。ということは、受験する側からしたら、ぼろぼろの学区に通いつつ、SAT(大学入試用共通テスト)で満点、というのが、いい大学に入るには一番いいんじゃないの、と我が家では強く思うのだが、これはどうも子供のいない私たちだからいえることらしい。友達たちはみんないい小学校・いい中学校・いい高校に子供を入れたいと一生懸命なようだ。世に教育の悩みは尽きず・・・・・。

Posted by chika at 10:26 PM
October 23, 2003
決断のスピード

最近何人かのアメリカ人から、異口同音に
「どうして日本の会社との交渉はすぐブラックホールに入ってしまうのか」
と嘆かれた。

こういう嘆きが出る理由のひとつは単なる商慣習の違い。カルチャーショックというヤツである。

カルチャーショック・例1は、ミーティングをするということに対する日米の心構えの違い。アメリカの会社側は、
「ミーティングをしたら、次のステップに進むか進まないかのYes/Noを決断するものだ」
と思っているが、日本側は
「中々面白い会社ですなぁ、ほほー」
という感じで、そのままふわーっと終わってしまってもなんとも思わないことも多い。とりあえず知り合っておいて、将来何かあったらよろしく、という程度の気持ちで、軽く会っているだけなので、突然YesかNoかと聞かれるのは、まるで一回目のデートで結婚を迫られるようなものである。

(スタンフォード大学のとある研究所のトップが、ひたすら「表敬訪問」に来るのに、全然寄付をしてこないあまたの日本企業に業を煮やして、「ミーティングフィーを取る」と言い出したのを、部下が止めた、なんていう笑い話もある。)

カルチャーショック・例2は、日米で、大企業とベンチャーとの間のアライアンス形態が異なることに基づくもの。日本側は、日本の中小企業を下請けにするような気持ちで、VCから資金調達してぴかぴかの技術を作ろうとするアメリカのベンチャーと対応して、相手から求められる資金額が一桁・二桁大きいことに驚いたり。

が、しかし、カルチャーショックについては、準備さえしておけば十分に克服可能である。

それより大きな問題は、日本の会社が決断をするのが苦手なこと。Yesの決断をするのは中々できないが、かといってNOという決断をするのも困ってしまう、ということで不返答のまま時だけが流れる、ということもある。とにかく、ひたすら検討に検討を重ね続ける、ということもある。

しかし、その根底には、会社のトップ層が決断を回避しているという問題が大きいと思っている。他社となんらかの契約を行う、というのは会社にとってとても重要な決断のはずで、その決断はアメリカの大企業でも相当にシニアな人でないとできない。で、そういう人たちが実際に会議に出てきて、その場で決断を下す。決断する権限のない人たちがいくら検討しても、問題点がひたすら浮かび上がってくるだけだ。問題点を指摘するのは楽しいし、自分が優秀になったような気がするし、周りからも優秀だと思われたりする。米国ベンチャーとのアライアンスについて、問題点がいろいろあってもやっぱりやろう、という決断ができるのは、日本の大企業だったら役員クラスであろう。そういう人たちがリードを取らないと、タイムリーな決断は難しい。

まぁ、とはいうものの、アメリカだったら大企業でもブラックホール化せずに物事が決められるかといえば、必ずしもそうではない。例えばマイクロソフトも、どんな会社がアプローチしても反応がないので、シリコンバレーの企業からは嫌われていたが、「こんなことでは、いい情報が入ってこなくなり、正しいアライアンスもできなくなる」と一念発起して、コンサルティング会社を導入して、新しい組織を作って迅速に交渉ができる体制を整えた。

ということで、日本だからできない、アメリカだからできる、という単純な問題ではないはず。

昔話で聞くところによれば、日本だって80年代初頭までは、重大な決断をかなりの若手がスピーディーに下す、ということがあちこちで行われていたようではないか。今だって、高成長している企業はスピード決断をしている。

「びしびしと決断していた昔に築き上げた事業があまりにすばらしかったので、いまだにそれの残り火で生きていける会社」を「みんなで合議に合議を重ねて、集団でスクラムを組む日本的美徳がゆえに成功している会社」と思ってしまった90年代はちょっと不幸だった。

ちなみに、「どうして日本の会社との交渉はすぐブラックホールに入ってしまうのか」と嘆いていた一人は40代前半にして、今の会社で10数社目の起業という、スーパーシリアルアントレプレナー。こういう海千山千の人を嘆かせてしまう日本の事なかれパワーというのはたいしたものだ、と結構感心してしまったり。

Posted by chika at 09:15 PM
October 22, 2003
Kill Bill....日本の未来 その2

Kill Billの紹介では、映画シロウトの分際で思いのほかたくさん書いてしまった。日本のエンターテイメントは世界に通用するのだ、ということをいうために、日本がこれまで生み出した映画・漫画・アニメのエレメントがいかにKill Billの中で使われているかを言いたかっただけなんだが。。。。ついつい饒舌にさせてしまうパワーがある映画ということかな。

本当に言いたかったことはこの先で、かいつまんで言うとこういうことだ。

1)世紀の産業革命、ITの大イノベーションの山は越した。これからは、
A. これまでのITイノベーションを使った効率化がビシバシと進んで、モノが安く作れるようになる
B. さらにITを酷使したリモートラーニングにより、一流の教育が広く世界で受けられるようになり、安価な知的労働者もバンバン増加する

A+Bの結果として世界的なデフレ、またはそれに近い状態になる。

2)次の大イノベーションの山が来るまで、新たな需要はエンターテイメントから生まれる。仕事がないなら遊ぶしかない。過去においても、例えばアメリカでジャズが広まったのは大恐慌のときだった。

3)エンターテイメントでは、日本は大きな強みがある。漫画・アニメはもちろんのことながら、10代、20代のワカモノの携帯電話活用文化、渋谷系ファッションなど、「ワカモノ文化」においては他に類を見ない独特で勝手な成長を遂げている。アメリカなんか、日本ではやったものが大体1年以上たってからやっとやってくる、という感じ。、厚底サンダル、スクーター(というのかな?車輪がついた細長い板状のものにハンドルがついてて、一時期ワカモノが繁華街で乗り回してたあれです。)などなど。

4)というわけで、今後日本の輸出産業として「エンターテイメント」はうってつけだ。かっとんだ漫画をいくつか合体させて、ハリウッドの監督を使って映画化するとか。MatrixもKill Billも受けるんだから。いろいろな作品を発掘できるんじゃないか。

個人的には、萩尾望都のスター・レッドとか11人いる!あたりを実写で見たいなぁ。小説でも、日本の「なぞのスーパージャンル系」はかなりよいと思う。「SFのような歴史文学のような恐怖小説のような恋愛小説のような」というタイプの小説。これまた個人的には椎名誠の未来社会SFものを実写で見たい。「対岸の繁栄」という短編を、StingのYou Still Touch Meという曲を主題歌にして映画化して欲しい・・・・。

個人的wish listはさてはおきつ、映画産業って言うのは実は結構大事で、これにあわせていろいろなカルチャーを輸出できる。人は見たことないものを欲しいと思わないもの。特定のストーリーの中で、かっこいい俳優が着てるモノ、持っているモノ、食べているモノ、は強い影響力を持つ。

映画以外にも、日本が提供して世界が瞠目するエンターテイメントとしては「観光」もある。日本の祭りってのはすごい。一度、気合を入れて東北三大祭というのに行ってみたが感動した。世界広しといえども、こういう祭りがあちこちで激しく行われている国もなかろう。これで一泊一部屋8万円なんていう暴利がまかりとおる宿さえ何とかすれば、グローバルに客が呼べるのは間違いない。

**************
上記1)は非常に重要な問題だと思う。「日本は製造業に回帰すべき」なんて気軽に焚き付けているメディアもあるが、鎖国でもしない限りそんな回帰ができるはずがない。給料が何分の一の国と同じものを作って競争力を保つのは並大抵のことではない。日本でペイするのは一部の職人芸的に高度な製造だけになっていくだろう。

(鎖国せずに回帰できる方法として、円が暴落するか、激しいデフレが進行するかして、日本人の収入レベルが、発展途上国並みになる、ということもあるが、、、)

製造業からknowledge work、知的労働へと社会の中核が移っていくことに関しては、2001年11月号のThe Economist誌に掲載された、Peter DruckerによるNext Societyという特集が非常に良くまとまっている。当然ながら、「製造業には回帰できない」ということが前提となっている。

で、日本型knowledge workとしてentertainmentをテーマにすべき、というのが私の主張。

ちなみにDruckerは1909年生まれ。アメリカではもはやトンとお名前を拝聴しない過去の人の感もあるが、あと6年生きたら100歳だ。日本ではちょっとした騒ぎになりそうだな。きんさんぎんさん+マネジメントという、わけのわからない組み合わせである。

もとい。特集の中のThe new workforceは、これからの社会がknowledge workerを中心としたものになるとし、その一つの副産物が、競争が激しくなり、結果として40代で能力のピークに達すること、としている。knowledge workerは勉強さえすれば家柄に関係なく誰でもなれる。だから、競争は否が応でも激しくなる。結果、ピークが早く訪れる。いわく

highly successful knowledge workers・・・・“plateau” in their 40s.They know they have achieved all they will achieve.

40代で仕事上なすべきことは成し遂げてしまうとしたら、その後の人生を楽しく生きるには、やっぱりエンターテイメントが必要だ。ということで、どんな道をたどっても、余暇が大切、ということになり、エンターテイメントを主力産業にすることはますます魅力的なのであった。

Posted by chika at 09:42 PM
October 20, 2003
Kill Bill....日本の未来 その1

体調が悪い。人と会っている間は、結構元気なのだが。テンションがあがっていれば大丈夫ということは、気のせいか?

もとい。

先日、村山さんのBlogに書いてあったKill Billをみた。Quentin Tarantinoの新作だ。Pulp Fictionよろしく、時系列をあえてかき乱した構成になっている。

4語で映画批評をするFour Word Film Reviewから借りれば、"Quentin's live-action anime"。設定的にはCharlie's Angelsチックである。Charlie's Angelsは男性のボス率いる正義の味方の女性チームだが、Kill Billは男性のボスが率いる女性暗殺隊だ。

私がまず思ったのは「これはTarantinoのCinema Paradisoである」ということ。Cinema Paradisoは、死ぬほど映画好きの少年が、映画監督として成功するが、その子供時代の思い出は郷愁に満ちているもののほろにがく、本当に欲しかったものは手に入らないという切なさを描いて、カルト的ファンを多く持つ映画だ。(予告編がここでみられる)Cinema Paradisoの中では、子供の頃にわくわくしてみたあまたの映画へのノスタルジーが描かれるが、Kill BillはTarantinoが
「そんな映画もあんな映画も、こーんな映画もみたぞ。どれも、ものすげー面白かったぞ!どこがどう面白かったか、俺の解釈を見せてやろう。どうだ!」
とほくそえみながら遊びながら、かつ真剣にエンターテイメントとして作った、という感じだ。

「そんな映画・あんな映画・こんな映画」の中身には、映画については超シロウトな私がわかった範囲だけでも、こんなジャンルが入っている
1)マカロニ・ウェスタン
2)日本のやくざ映画
3)日本の時代劇
4)日本のカルト系アニメ
5)カンフー映画

1)については、アメリカではスパゲッティ・ウェスタンという。なぜスパゲッティがマカロニに変身したかについては、スパゲッティでは響きが軟弱ということで故淀川長治氏が改名したという噂だが、それはともかくとして、イタリアで作られた西部劇、である。オリジナルのアメリカ西部劇が勧善懲悪的なのに比べ、一癖ある悪人だが憎めないところがあり、それなりのモラルを持ち、クールな主人公が多い。イタリア人監督のSergio LeoneがClint Eastwoodを主人公にして作った3部作が有名。
(ちなみに、この3部作の一作目、 A Fistful of Dollars(荒野の用心棒)は黒澤明のパクリというのが、国際的評価)

Kill Billでは、悪人だが独特のモラルとクールな魅力を持ち、滅法強い主人公をUma Thurmanが演じる。人物の登場の仕方なんかもマカロニウェスタン的。

2)と3)で日本のやくざ映画・時代劇のなごりは、派手な紛争、立ち回り、殺陣などに明らか。雪の日本庭園で日本刀で戦ったりとか。

4)のカルト系アニメの影響として、異常な血まみれさ加減、常軌を逸した狂人的キャラクタ(残忍な17歳のコギャル殺人鬼とか・・・・)などに濃厚に現われているのに加え、途中で回想シーンとして本当にアニメが挿入される。

横田基地を舞台に、日本刀で女子高生が吸血鬼退治をするというストーリで、工藤夕貴が声優のBLOOD-THE LAST VAMPIREというアニメがある。このあたりがかなり近いか。ちなみに、Blood...は、ShrekのCGなどで知られるPDIでエンジニアをしている知り合いが「口角泡を飛ばす」という感じで「すばらしいアニメだ」と絶賛していたのでDVDを買って見た。チミドロ系でクラーイ日本の漫画・アニメに慣れている私にはやや退屈と思われたのだが、突然見ちゃった外国人には刺激が強いんだろうか。

5)は、戦いシーンでごらんあれ。

実際、Tarantinoはこの映画を作るに当たって、俳優たちに、日本映画やら香港映画などなど、総計75本を見せたとのこと。

この映画を見た後、ついついマカロニウェスタンのThe Good, The Bad, The Uglyと、極道の妻たちを借りてみてしまった。Tarantinoの解釈で、上記1-5のジャンルそれぞれの面白さのエッセンスをひたすら見せられたので、ついつい原典が見たくなってしまったのである。

で、これがどう日本の未来と結びつくと思ったかはまた改めて・・・。

Posted by chika at 11:01 PM
October 16, 2003
能天気なアメリカ人

今日はついにVerisignがNetwork Associates(じゃなくてNetwork Solutionsです。頭をかきつつ修正11/5/03)を売ることが発表された。CNETのVeriSign sells off domain registrarなど。

というのは置いておいて、能天気なアメリカ人の話はEconomistのInequality:Would you like your class war shaken or stirred, sir?へ。(よくわからないが多分有料)

本題はアメリカの金持ちはどんどん金持ちになって、貧乏人との格差が開いている、という話。タイトルはイギリス人らしい風刺のきいたもの。マティーニにかけて、Class War (階級格差戦争)がshaken=揺すぶられるのがよいか、stir=かき乱されるのがよいか、と聞いているわけだ。(もちろん、どっちも嫌なこと。)

いわく、1998年の調査では、年収ではトップ1%が全体の15%を占め、アセットではトップ1%が全体の38%を占有していると。

が、しかし、その内容はさておき、一番面白かったのは次の一文。

Interestingly, Americans are usually over-optimistic about their chances of promotion. An opinion poll a couple of years ago found that 19% of American taxpayers believed themselves to be in the top 1% of earners. A further 20% thought they would end up there within their lifetimes.

笑える。国民の19%が「自分は国でトップ1%の稼ぎ」と思ってるのだそうだ。さらに、その次の20%も「一生のうちいつかはトップ1%の稼ぎができる」と思っている。つまり、国民の2人に1人近くが「今既に、もしくはやがて、大金持ちになれる」と信じているのである。

記事にはグラフで、国で下から10%の人の稼ぎと、上から10%の人の稼ぎが出ている。それをみると、上から10%の人の一家あたりの年収は20万ドルちょっと。約2200万円くらい。ということは、上から20%だったらまぁ1500万と2000万の間であろう。もちろん、それだけの収入があれば、シリコンバレー以外の殆どのアメリカでは相当にリッチな暮らしができ、日本人の感覚ではお屋敷と呼んでもよい豪邸に住めるのは確かだ。しかし、それで「国でトップ1%」と思うとは、いくらなんでも能天気ではないか。

不幸に気づかないアメリカ人 幸せに気づかない日本人 という本を小林至さんという人が書いている。どうも彼はとてもアメリカが嫌いなようだが、それは置いておいて、このタイトルはパラドックスだなぁ、と思った。

「全てのクレタ人はうそつきだ」とクレタ人の哲学者、Epimenidesが言った。これが本当なら彼の言っていることは嘘で、だとすれば彼の言っていることは本当で、、、、という堂々巡りがパラドックス。

「不幸に気づかない」ということはすなわち幸せだ。「幸せに気づかない」ということは不幸である。ということは、「幸せなアメリカ人、不幸せな日本人」について書いてあるのかと思いきや、どうも中身はその逆のようだ。でも、ということは、不幸に気づかない人は実は不幸で、幸せに気づかない人は実は幸せ、ってこと?それは変だ。

幸せは遺伝形質である、という論文を以前精神医学系の雑誌でみたことがある。「その人に起こること」と、「その人がそれをどう感じるか」の間には、実は深い溝があるのは誰もが感じるところだろう。何があっても満足できない人と、何もないのに何だかいつも楽しそうな人と世の中には二つのタイプの人がいる。で、それは遺伝で決まっているのだ、と。不幸に気づかないような性格に生まれついたら幸せ、逆は不幸せということだ。

***

ちなみに、日本でも紙ベースのEconomistを購読していたのだが、その頃Economistの日本オフィスで働くイギリス人の人と話していたら、彼いわく、日本の購読者は3000人しかいないとのことだった。本当だろうか。本当だろうなぁ。すごい雑誌なのに。「経済の神様が天国から降りてきて毎週一回出版する雑誌だ」と豪語する知人もいたが、それくらい異様に濃くて目からウロコの内容に満ちていて、しかも風刺が効いている。しかし、その異様な濃さゆえに、nativeのアメリカ人で、相当な速読ができる人でも、毎週毎週とても読みきれないと嘆いている。

ビジネススクール時代、Romerという将来のノーベル賞候補らしき経済学者の人が先生のマクロ経済を取ったのだが、その授業ではEconomistの購読が義務だった。(学生割引なるものがあった)が、よくRomerは「この記事はこう間違っている!」と指摘し、「Economistの間違いが指摘できるぐらいのレベルに早くなれ」と生徒に言っていたが、私にそういう日が来るのはいつのことやら・・・。

なお、Economistに比べるとBusiness Weekは随分軽量級(量ではなく、読み応えとして)。この間のエントリーで、Business Weekに載っていたMBAの平均年収の記事の話をしたが、この記事では、わざとMedianじゃなくてAverage(mean)を使って平均年収が高くなるように見せて、センショーナル度を増していた。相当確実にわざとだと思う。いくらなんでもこの手の平均でmedianを使うのは常識だ。

Economistだったら絶対こういう「お里が知れる」ことはしないだろうなぁ。

Posted by chika at 10:37 PM
October 13, 2003
Lost in Translation再び・・・

映画のLost in Translationであるが、アメリカ人の間では「日本人に対する人種差別的」というコメントも結構あがっているようである。というのは、インターネットの映画フォーラムなどの話。あまりに変なオモロイことがあって、これはきっと差別的表現だ、ということらしい。しかし、私の思うところ、この映画は「本当に日本そのまま」。

日本は、日本を知らない人にとっては、まさかと思われるほど笑えることがたくさんある国ということか、と個人的にはそう思った。私のエントリーにコメントしてくださった東海岸在住のtigressさんもこの映画を見て「ホームシックになった」とおっしゃっているので、それはつまりそれくらい真に迫っているということでありましょうか。

あと、私が思ったのは、「この映画が表現している寂しさは、別に日本に異邦人としてやってきた外国人じゃなくて日本で生まれ育った日本人でも感じる寂しさじゃないのか」ということ。周りがみんな和気あいあいと同じことを楽しんでいるように見えるのに、自分は違う、という感じがするからか。このあたり、桐野夏生のグロテスクにも通ずるところがあるような気がする。

ちなみに、アメリカでの映画サイトとしてはこんなのが。
Rotten Tomatoes
スター的評論家から、無名の人まであまたの映画評論家の評論を一堂に集めている。で、評論に加えそれぞれが映画に点数をつけているのだが、その合計平均が60点を越えるとfreshトマト、それ以下だとrottenトマトのマークがつく。ちなみにLost in Tranlationは95点で堂々のfreshトマトさんである。

笑えるところではFour Word Film Review。4語以下の映画批評を広く募っている。殆ど流れ星のような、もしくはF1レースで目の前をレーシングカーが過ぎ去っていくような、そういう長さのレビューである。これだったら不特定多数の人に書き込んでもらっても、大したバイト数にならないという利点もありますね。

Posted by chika at 09:36 PM
October 09, 2003
意訳

以前、accountabilityは「落とし前をつける」と訳すのがいいんじゃないか、というエントリーを書いた。

一方、Paternalismというエントリーを2日前に書いたが、この中で書いたThe road to hell is paved with good intentionsに関しては、私なりの日本語訳は「ゴメンで済むなら警察はいらない」だ。つまり、どんなに善意・誠意があったとしても、結果がだめだったら問答無用でだめだということ。

"accountability"と"The road to hell...."は密接に関わっていて、accountableな人はgood intentionがあるだけではだめ。どんなにプロセスに善意がこもっていても、辿りついたところが地獄というのはaccountableでない証拠。つまり、本当にaccountableな人がいれば、善意で舗装された道を通って地獄に至ることはないのである。(他の経路では地獄に行くこともあろうが。)

これを、「善意」と「accountability」の有無を縦軸横軸にして、4象限にわけて考えてみる。(・・・・という縦軸横軸発想はMcKinsey時代の後遺症なのだが、まぁヨタ話と思って聞いてください。)

1.善意=ある、accountability=ある:すばらしい!こういう人についていきましょう

2.善意=ない、accountability=ない:近寄るべからず。でも、見るからに嫌なヤツで、実行能力がないのもすぐわかるから、見分けるのは簡単。意外に害は少ない。

3.善意=ない、accountability=ある:目的のためなら手段は選ばないタイプ。利害関係が一致していて、しかもその人がどうしても必要な場合のみに限定すれば付き合えるが、普通は怖いですね、こういう人は。

4.善意=ある、accountability=ない:これが善意舗装スーパーハイウェーで地獄に連れて行ってくれるタイプ。泣かされる。「善意でやっている」というプロセスに重きが置かれ、誠心誠意実行すれば結果は二の次。最後に結果が伴わなくても本人はいたってあっけらかんと「アーだめでしたねぇ、残念です」なんて他人事みたいに言ったり。しかも、善意はあるので、一見いい人っぽく、ついついそばに寄ってしまったりして、痛い目に会う。なるべく早く見抜いて、にこやかに去る、というのが鉄則である。

Dilbertという人気コミックがあるが、その中で、間抜けで怠惰だが憎めない同僚のWallyがプロセス・プライドを獲得する、というのがある。Wallyいわく、
"This week I developed what I call 'process pride'...I'm very proud of the way I do it." 
で、このあと、「でそのプロセスの結果、どんな成果が出たんだ」と聞かれると
「一度に2つのこと(良いプロセスと成果)ができる訳ないじゃないか!I am one personなんだから」と怒って答えるコマへと続く。4の人と一緒に仕事をすると、こういう感じになることが多い。

***

ちなみに、paternalismを日本語にするときはどうしたらよいだろう。実は何年も時々思い出しては考えているのだが、いい案が浮かばない。「家父長的」と訳すのが普通なようだが、それではaccountabilityを説明責任と訳すようなもので、本当の意味が伝わらない。「傲慢なおせっかい」かな?「尊大で無神経で差し出がましい」かな?それとも、そのまま直訳して「オヤジくさい」か?!うーん、これは明らかに違うなぁ。なんて訳したらいいんでしょうね。

Posted by chika at 08:37 PM
October 08, 2003
CIA/PentagonゲームでGo!

San Jose Mercury NewsのThe Pentagon's got game

Increasingly, the Pentagon is joining forces with the video game industry to train and recruit soldiers. The Army considers such simulators vital for recruits who've been weaned on shoot 'em up games.

Even the Central Intelligence Agency is developing a role-playing computer simulation to train analysts.
ということで、軍もCIAも、民間が開発したゲームでトレーニングしちゃおうというもの。

これまでももちろんシュミレータはあったが、一台数億円という高価なハードが必要だった。で、その代わりに、民間のゲーム開発企業に発注しようと。そこでthe Institute for Creative Technologiesという組織をMarina Del Rayに結成。これは南カリフォルニア大学(USC)と、民間のゲーム産業とを束ねようと軍がバックアップしてできた。サイトもちょっとうさんくさいゲーム屋さんっぽい。ゲームに限らずソフトウェアの差別化は人。良い人材をいかに集めるかが鍵なので、ゲーム開発が得手な人の心を引き付けるべく苦心しているのであろう。

CIA向けのほうは、実際に自分がテロリストになってRPG(ロールプレーイングゲーム)をプレー、敵の気持ちを理解する、ということになってるらしい。

NASAが開発した、メインフレームをがんがん回すアプリケーションがあって、一回計算するのにも莫大なコストがかかるというものだったのだが、民間企業サイドでは、同様の計算を普通のラップトップパソコンでできるようなアプリがとっくにできていた、なんて話もある。コア技術開発は政府研究機関や大学で行い、アプリケーションレベルになってきたら民間の力を活用する。これ、常識ですね。

Posted by chika at 09:26 PM
October 07, 2003
Paternalism

ついにSchwarzeneggerが州知事になってしまうようだ。とりあえず現状の開票結果では「当確」で、日本だったらダルマに目が入る。やれやれ。

気を取り直して、「Paternalism」という英語について。

先週、ラジオのKQEDでDo Not Call Listの話をしていた。

まず、本題に入る前にKQEDというラジオ局について。サンフランシスコベースなのだが、National Public Radio(NPR)と提携してNPRの番組に加えて、自分の局で作成した番組を流している。

NPRは、全国規模の非営利団体で、良質なニュースとコメンタリーを配信。ニュースも面白いし、科学や政治など最新の深い話題も、その道のプロを呼んで来てわかりやすく興味深く語ってくれる。それに、時の人からそれほど有名じゃない人までいろいろと呼んでインタビューをする「ラジオ版徹子の部屋」のFresh Airも秀逸。人選もDavid Bowieからノーベル賞受賞者までいろいろいてカラフルだし、聞き手のTerry Groseという女性のグイグイと核心をつく質問もよい。運転しながら聞いていて、目的地についてもついつい駐車場にとめた車の中で聞き入ってしまうことも何度かある。

KQEDの独自プログラムでは、朝「Michael KrasnyのForum」というのをやっているのだが、このKrasnyオヤジは中々侮れない。とにかく異常な物知りである。文化芸能から政治、経済、外交、環境問題に至るまで、ありとあらゆる話題でプロのゲストスピーカーを4-5人集めてきて、喧々諤々の討論の司会をする。それも毎日、だ。

一度Michael Krasny本人に話を聞くショー、というのがあって、それで彼自身が言っていたのは、とにかく本を読むこと以外に何の趣味もないんだそうだ。家族には「You don't have a life」と言われていると。ガツガツとありとあらゆるジャンルの本を読みふけっているんだそうだ。

で、そのMichael Krasnyの番組でDo-Not-Callリスト合憲・違憲問題についての討論があった。「Do-Not-Callリスト」とは、掲載希望者の家にはセールスの電話がかかってこないようにする、というもの。(アメリカの電話セールスは激しいのだ。おちおち食事もできない)最近始動し始めたのだが、リスト掲載希望者の受付を始めるや否や、莫大な数の人が殺到して受け付けの電話もウェブサイトもパンク。あわてたのは、テレマーケティング業界で、死活問題とばかり政治力を激しく行使、さらには「電話をしてはならないとは、言論の自由に反する」として違憲の訴えをし、一旦違憲判決が下されたところ。で、その違憲判決は何を持って下されたのか、いったい何がissueなのか、ということを討論したのが10月1日の回であった。

Michael Krasny: Forumのページで過去の番組のストリーミングが聞ける。10月1日9時からのDo Not Callというのがそれ。で、始まって17分目くらいのところでCode and Other Laws of Cyberspaceの作者で新米パパでもあるLawrence Lessigが「法的にみて何がissueなのか」について語っている。ちなみに、first amendmentと彼が連呼しているのは「言論の自由」のこと。(雑学的に、法律の番号繋がりでいうと、take fifthといったら「黙秘権を行使」という意味。これは口語で時々使われるので覚えておくと便利。)

さて、Lessigのポイントは「Do-not-call listは、リスト掲載者に対し、商業事業者は電話をしてはいけないが、政治家と非営利団体はOK、というルールがある。これが問題。一般消費者の意思ではなく、政府が勝手(Paternalistic)に決めたルールを押し付けるのでは、消費者(国民)の選択の自由を奪う。国民が何を聞いてよくて何を聞いてはいけないかを国が決めるから言論の自由に反するのだ」ということ。

と、ここまで書いてやっと本題のPaternalismであります。
(うーむ、この冗長さは、我ながら、200ページ以上主人公が出てこないアンナカレーニナのようだ・・・)

「Paternalism」と私のClieに入っている研究社辞書で引くとこう書いてある。
「(国民・従業員などに対する)父親的態度、家父長主義《父親的温情を示すが、権威・責任は崩さない態度・主義》」
ううむ、全然違う!こういう意味も恐らくあるのだろうが、通常は悪いニュアンスでしか使われない。例えば同じClieに入っているAmerican Heritageの意味はこうなっている。
「A policy or practice of treating or governing people in a fatherly mannner, especially by providing for their needs without giving them rights or responsibilities
太字にしたところがミソなのである。「相手の自由意志を尊重しないで勝手に決めちゃう」ということがpaternalism。自由意志を認めないということは大いなる罪であるがゆえに、paternalisticなことをしちゃいけないのだ。だから、今回のdo-not-call listも「paternalisticだから言論の自由に反するから違憲!」ということで議論になっている。

常々思うのだが、「言葉がない概念は理解できない」。日本語にはpaternalismに該当する概念がない。だから、みんな気も遠くなりそうなpaternalisticなことをする。(あなたはpaternalisticだ、といわれたら「ふふーん、お父さんみたいで頼れるってことかな」などと悦にいる人もいるかもしれない。)「良かれと思って」本人の選択も聞かずに勝手に何かを選ぶ、ということが平気で行われる。もちろん、「かわいそうだから」「大変そうだから」という親切心で、善意に基づいて取られる行動なのだと思うが、きちんと判断力を持った人間に対し、その自由意志を聞かないのは罪ではないか。

The road to hell is paved with good intentionsという諺がある。直訳したら、善意が積み重なって地獄に行く、ということだ。一生懸命よかれと思ってしたことでも結果が悲惨では意味がない、というようなニュアンス。人間はみんなそれぞれ違う趣向があるんだから、勝手な善意で相手の自由意志を尊重しないのは地獄への直行便なんである。

Posted by chika at 11:25 PM
October 06, 2003
17才だったら再び

「17歳だったら何をする」とダンナ(アメリカ生まれである)に聞いたら「どういう意味だ」。

うちのダンナは話の流れや雰囲気に基づく曖昧な問いに答えるのが苦手である。類推ということができないらしい。例えば、親戚のおばさんの話をずっとしていて、その流れのままに「で彼女は何歳になったの」と聞いても「誰が?」と聞き返したりとか。おばさんに決まってますがな。

「つまり明日の朝目が覚めて、で17歳になっていたとしたら、そのあとどうするってこと」
と聞きなおすと、
「友達に電話して遊びに行く。」
「・・・・・・(気を取り直して)そうじゃなくて、今もってる知識そのままにもう一回17歳になったら、キャリアも含めてどういう人生を組み立てるかってこと」
というと、「君の質問はいつも定義が曖昧だ、ブツブツ」とかいいつつ答えは
「まずいろいろとインターンをする」なんだそうだ。

この国では高校生でも夏休みにインターンができるらしい。彼は技術系・アカデミア系のインターンしかしたことがなかったのだが、今17歳だったら金融とかもう少しビジネス系のことも試してみようと思う、とのこと。
「それって、高校生が『ちわっ、インターンしにきました』とかいって登場したら使ってもらえるもんなの?」
と聞いたところ
「無給だったら大抵OK。もちろん大事な仕事なんてさせてくれない。ファイリングとか、そんなことだ。でもそれで結構その仕事の一端が垣間見られるからいいんだ」
とのこと。

うーむ、そうか、高校生かつ無給でよければいろんなところにもぐりこめるのか。もちろん、紹介とか学校の先生の推薦状くらいは必要かもしれないが。フレキシブルにできているんだな。

フレキシブルといえば、現在の私の友人たちの働き方もしごくフレキシブルである。毎週金曜に夕食を一緒にする6組の家族がいるのだが、いつも誰かしら仕事をしていない。今日現在で言えば、一組=夫婦ともリタイア(っていっても、38歳と35歳です)、一組=仕事と仕事の間で充電中(2人とも今年の初めに前の仕事をやめて、今は子育てとゴルフと新しく買った家のインテリアを揃える事に専念)、もう一組は、ダンナは会社が最近買収されたのでこれを機に転職活動中、奥さんは在宅勤務で弁護士業、もう一組は奥さんが産休中、二人ともフルで働いているのは我が家ともう一組(ダンナ=UC Berkeleyの教授、奥さんYahoo!)だけである。リタイアした組は別として、workforceというカテゴリーを出たり入ったりしながらやっていく、という働き方が、少なくともここシリコンバレーではかなり普通になっている。

不安定といえば不安定だが、シリコンバレーだけでなく、いろいろなところで将来こういう働き方がだんだん増えていくだろう。企業側も競争が増す中で人材コストを固定費化したくないだろうし、人材側も一つの企業と心中するより、その時々に応じて自分の能力が最も必要とされるところで働くことを望むようになるはず。雇用側、被雇用側の両方が長期雇用を望まなくなれば、人材の流動化が進み、そうすると必ず余剰人員がでる。

そういう時代になると、「これはまかせて」という特技がないと、なかなか世の中を渡っていけない。高校生の頃からインターンなどしつつ、「私は何が好きで何が得意なんだろう」とあれこれ試行錯誤しながら手に職をつけるのが、世のため人のため、そして自分のため、なんでありましょう。

Posted by chika at 08:27 PM
October 05, 2003
エキゾチックなできごと

今日、Lost in Translationという映画を見た。Bill Murray扮するアメリカの有名俳優が日本にコマーシャルの撮影に行って、異文化の孤独の中で人生の意味を考える、というもの。舞台の中心は新宿のPark Hyatt。加えて、新宿や渋谷のネオンサインあふれる町並み、カラオケ屋、サイケデリックなクラブ、ストリッパーのいるアップスケールなバー、京都のお寺、平安神宮、などが登場する。

うちのダンナは「Solarisと似ている」と。Solarisは、George Clooneyが宇宙船の中で自殺したはずの妻と再会して、孤独と人生の意味を自問する、というSFだが、「『宇宙船』というforeignな環境が『日本』というforeignな環境に置き換わっただけで、全体的なテーマ・雰囲気は一緒。DVDにするときは抱き合わせにすべきだ」と力説。

私はというと、今一つまらなかった。というか、映画としてはよくできていると思うのだが、日本のエキゾチックなところの描写が長くて「それ、知ってるよ」という感じ。これが本当の"been there, done that"。

Central Stationというブラジルを舞台にした映画があった。私は偉く感動して涙ウルウルだった。他に見た友人誰に聞いても「ものすごく良かった」と言っていたのだが、唯一ブラジル人の友人は「退屈だった」と。きっと私がLost in Translationをみたのと同じような気持ちだったに違いない。Central Stationも、ストーリーライン以外に現代のブラジルの特徴的な町並み、人々の振る舞い、などにかなりの時間が割かれる。ブラジルをよく知っている人には退屈なのだろう。

逆に言えば、エキゾチックなものはそれだけで面白い、ということか。同じクイズ番組でも、海外で収録されたものの方が興味深いし。

エキゾチックといえば、映画から帰ってきて留守電を聞いたら、二つメッセージが入っていた。一つはBill Clintonからのもので、もう一つがArnold Schwarzeneggerからだった。来週がカリフォルニア州知事リコール選挙なので、そのためのもの。もちろんどちらも録音したメッセージを自動的に流しているだけだが、Clintonは「Vote no for recall(現知事を支持)」で、Schwarzeneggerは「僕に投票してね」と。笑っちゃったのは
「投票用紙で私の名前を見つけるのは難しいので、『どうやってSchwarzeneggerの名前を見つけるか』という冊子を見てから投票に行ってください」
というメッセージ。こちらの投票用紙は、名前が最初から書いてあって、そこに穴を開ける、という仕組みらしいが、100人超の立候補者がいることもあり、しかも子音が羅列するムズカシイ名前なこともあって、Schwarzeneggerが見つけられない人もいるんだろう。

というわけで、ClintonとSchwarzeneggerから立て続けに電話があるというのは、カリフォルニアならではのエキゾチックな出来事。

追記:
翌日の10月6日、選挙前日には、Al Goreから電話があった。あとはBushかな。。

なお、Lost in Translationはじわじわと思い出すと実は良い映画だったような気がしてきた。見た翌日は一日中なんとなく映画の中の孤独な雰囲気の影に入っていたような感じ。かような影響力があるということは良い映画なのでありましょう。

Posted by chika at 09:34 PM
大学の勉強

17才だったらで「大学の実験はつまらなかった」にいろいろコメントいただいたのですが、元のエントリーの説明が十分でなかったかなと思うので、ちょっと書き足します。

冗長でくだらない実験をさせるなよなぁという元エントリーに関して、

1)実験にどうしても必要な基礎的なスキルというのはあるもので、「訓練」にならざるを得ない
2)何時間も何年も無機質な実験は実は実験の本質
3)予定通りに進むことのない不確実性があり、それを体感することが基礎実験の意味合い

などなど、「基礎を学ぶのは大事だ」というお言葉を頂きました。いや、私も基本的にはその通りだと思います。本当に。3次方程式くらいまでだったら、式を見た瞬間にグラフがビジュアルに見えるのも、イオン化傾向の順番をいまだにソラで言えるのも、みんな日本の高校教育のおかげ。で、そういうことが体得できているから、より高次なことも理解しやすい。

実験に関して言えば、冗長で長時間だったことがまずいのではなくて「全く頭を使わない」ことが一番の問題だった。

「思った通りのデータが出てこない時に、仮説を立てて検証してゆく過程こそが、面白いところ」というコメントを頂いたが、その通りで、「自分で考えてそれを証明する」という実験だったら面白かったと思う。

頂いたコメントの中で、一番私の言いたかったことに近いのは、
「自分のやっている行為にきちんとした意味合いがあり、それを完遂させることで何が得られるのか、それを納得すればたとえ作業が単調かつ冗長であったとしても継続することが可能でしょう。」

とはいうものの、まぁ、実はそこまで高尚でもなくて、「自分で考える余地、工夫する余地があればそれだけで満足」というのが、私の場合は真実に近いかも。というのも、実は私は単調で冗長なことが結構好きなので。というか、時々自分でも限度を超していると思うことがあるくらい、クチクチと重箱の隅をつつくように何かをし続けけてしまったり。じゃなかったら、こんなにblog書けません・・・・・。

Posted by chika at 08:56 PM
October 03, 2003
17才だったら

今日、ランチをしていて、「今、17歳に戻ったらどういう人生を選ぶか」という話になった。で、私の答えは「アメリカの理系の大学に留学して、死ぬほど勉強する」であります。

大学の4年間全然勉強しなかった。笑っちゃうくらい。それはそれで、別に後悔しているわけではないが、でももう一回やり直すとなったら、MITとかCaltechとかで、思い切り勉強したい。「世界の最先端だぞ!」とか焚き付けられながら、明け方までひーひー言って勉強する、ってのをやってみたい。

その昔、大学には入ってすぐ「物理実験」という必修科目があった。その中で、唯一覚えている実験に「熱伝導率計測」があった。レンガみたいなブロックをゴロっと一つ渡される。その端っこに熱源を、反対側に温度計をくっつけて、実験スタート。熱源は周期的に温度があがったり下がったりする。すると、反対側の温度計も周期的に温度があがったり下がったりする。それを確か2-3時間もの間延々と計測し続けて、その結果から熱伝導率を計算するという、瞑想的なものだった。

ところが私の結果は変なグラフになって答えが出ない。担当教官に相談したら「うーん、ブロックの中に空洞があるな」という答え。要は、設定が変だったのである。で、終わり、であります。3時間が「ブロックに空洞があると答えが出ない」という小学生でもわかりそうなことでパー。まぁ、実生活でも「ブロックに空洞がある」に類した「実は問題設定に間違いがある」という出来事が多々あるのは確かだが、そういうことを学ぶ科目じゃなかったと思うんだけど。

そもそも、何時間も無機質に淡々と温度を測るということ自体つまらない。全く頭を使わない。こういう実験はもはや撲滅されていることを祈るばかりである。

今17歳だったら、そういう機械的訓練じゃなくって、もっと脳をフル回転させるみたいな勉強をしたいなぁ、とそう思うのでした。

Posted by chika at 11:36 PM
October 02, 2003
Corporate VC is not dead!

Wall Street JournalのAOL Time Warner Keeps Venture Investing in Strategy(すみません。有料です。)

AOLは、1998年にVC投資のファンドを2億5千万ドルで設立した。アーリーステージの技術企業に投資するためのもの。投資先の中にはTivoなども含まれる。70社投資したうち、20%が上場したか買収され、今のところ1億5千万ドルのリターンがある。残っている40社のうち、さらに上場する企業もあるので、まぁとんとんかな、というところ。

で、このファンドの位置づけはというと:
The venture fund, which typically invests between $2 million and $5 million per company, barely registers a blip on AOL Time Warner's bottom line.

ちっぽけな額なので、投資利益は関係ない、と。

But it plays a key strategic role on behalf of its parent: making sure AOL Time Warner keeps its finger on the pulse of promising new technologies.

が、戦略的には大事、と続く。将来が期待される新たな技術の会社の「脈をはかる」のが目的だと。

企業による戦略的なベンチャー投資は、いろいろな会社がやっている。数十億円くらいの小さいものから数百億円とかかなり大規模なものまでいろいろ。それも、時流にしたがって「はやりすたり」があるのだが、はやっているときにどっと投資して、すたっているときにやめる、というのはもちろん危険。

そもそも「はやっている」ときは、投資先の企業価値も高くなるから高買いすることになる。「すたっている」ときは、安くいい会社に投資できるチャンス。

さらに、戦略的投資先のベンチャーの技術をうまく自社事業に活用するには、それに適した人材を組織のあちこちに配置、経験を積んでもらう必要もある。例えば、「社内の技術と、社外の技術を冷静に比較できる能力」と、「社外のものの方がいいとなったときに、自社の開発をやめさせられる力」の両方を持った人材が欠かせない。前者の「比較能力」を持った人材を突然どこかから連れてきても、後者の「社内での信頼または政治力」を得るには時間がかかる。それ以外にもいろんな社内システムが構築されている必要があり、その実現には「組織的ラーニング」の蓄積が必要なのである。

ということで、企業のベンチャー投資は、本気で、かつ淡々とそうめんのようにながーくやっていくことで、いぶし金的効果が出てくるものなのだ。

インテルキャピタルも、今だに250人の人材を世界において投資をし続けているとのこと。

Z会も言っている通り「継続は力なり」なのであります。

Posted by chika at 08:50 PM
October 01, 2003
Google・Friendster・星新一の世界

Googleが出会い系ベンチャー(というと超胡散臭い響きだが)のFriendsterを買うのではないかという噂。CNETのGoogle in need of a Friendster indeed?などなど。噂の元は「FriendsterのCEOがGoogleの社食で複数回目撃されたから」と。Googleの社食といえば、Greatful Deadのお抱えシェフだった人が料理をしているので有名(とういうほどでもないが・・・)。

Friendsterのポイントは、自分のプロファイルが知り合いの知り合いだけに公開されるところ。Match.comのように不特定多数と出会うのではなく、「友達の友達(のそのまた友達)」だけの閉じたネットワーク。

アメリカ人のカップルというのは、似たような経歴と収入レベルということが多く、玉の輿も逆玉もあまりない。カップル単位で行動することが基本なので、話が合わないと友達の輪に入れないという問題もあるし、まぁ、カップル=究極の友達、というコンセプトがあるので、友達になれないようだとカップルにもなれない、ということもある。クリントン夫妻のようにダンナ=政治家、奥さん=弁護士、みたいなのが普通。付き合っているだけのカップルでも通常はそういう感じ。

加えて、友達の友達、ということであれば、少なくとも最低限のチェックが済んでいるということも大きい。Match.comで知り合った人とデートしたら、変な人で怖かった経験がある、というシングルの友達は結構いる。

ちなみに、アメリカの出会いサイトは、日本のような合コン友達探しではなく、真剣にパートナーを探そう、というシリアスなものが多い。(以前書いたDiversity and Dating in Silicon Valley をご参照下さい。)

ということで密かに爆発的人気を呼んでいる(らしい)Friendster。デートだけでなく、州知事選で選挙活動に使った候補もいたとのこと。(Schewarzeneggerではなく、Arianna Huffingtonという人。彼女は昨日選挙戦から脱落したが。)

ちなみに、Googleは今年になってBloggerサイトをやっているPyraを買収、さらに昨日9月30日には、6月にStanfordからスピンアウトしたばかりのKaltixを買収。どちらも恐らく数億円(もしかしたらそれ以下)のミニミニディール。Friendsterもエンジェルから100万ドル集めただけで無料サービス中だから、かなり小ぶり。しかもどれも数名のチームの会社なので、買収先のチームを社内に統合するのも楽。(実際、新入社員を採用するのとそれほど大きく違わないはず)中々お買い物上手だ。

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星新一のショートショートに、全ての人が個人情報入りの携帯端末を持っている、という未来社会が出てくるものがあった。知らない人と会ったら、携帯端末(もしかしたらカードだったかも・・・)を取り出して、相互のプロファイルをシンクすると、共通の趣味や話題が検索され、それをネタに話をする。話の中では、バーで出会った見ず知らずの2人が、「まずはお近づきに」みたいな感じでシンクするのだが、「共通項なし」で「だめか」と会話もなく黙々とそれぞれ酒を飲む、というものだったと記憶している。

Friendsterも共通の知り合いがいて、何らかの話題があることが保障された人の中から、自分と気が合いそうなプロファイル(とルックス)を持った人とだけ知り合う、というシステムなわけで、子供の頃に読んだSFの世界がじわじわと実現していることを感じます。

Posted by chika at 08:44 PM